彼を見つけたのは、路地裏だった。
あまり衛生的ではない道から見える。一軒の窓。
何か音楽でも聞いているのだろう、耳どおりの良い音が微かにここまで聞こえてくる。
5階建てのアパルトメント。煉瓦造りのモダンテイストなそれに見える。オレンジ色。
雨の日でも開いている窓の向こうに、見えるそれ。

顔を正面から見たことは、無い。
何せ、その窓があるのは5階。僕がいるのは路地を挟んだ向かいにある図書館の3階にある観覧室の窓。

 

 

 

d r o p

 

 

 

 

 

ああ、今日も開いてる。

個人的に使用しているこの観覧室。
大学付属のこの図書館で、僕は何時もと言うか、大抵日曜日はここで本を読む。
それが習慣と化しているから、事務の方々は何時もここを空けておいてくれる。
彼を見つけたのは、ここでの習慣が始まってから。
大きなガラス張りの窓。ふとした瞬間、上を見上げれば、雨の日だと言うのに開いた窓。
その奥に見えたかすかな色。良く目を凝らせば、オレンジ色だった。

 

それからだ。
時たま彼は、こちらを振り向いて、大きく身体を伸ばす。特に晴天のときが多いだろうか。
気分転換のように身体を伸ばし、在る程度時間が過ぎればまた引っ込める。何をしているかは分からないけど。
今日は晴天だから恐らくやるだろう。

彼を初めて見て以来、何か楽しみにように、彼を見ている。
時たま見える整った顔。不思議な色合いの髪。全て自分の視線を持っていかれるには十分だったからだ。

 

 

 

コンコンッ
「はい?」
「アレン君?」
「あ、リナリー。」
「やっぱり来てた。」
「それを分かってたからドアをノックしてたんじゃないんですか?」
「まぁね。」
綺麗な艶のある黒髪がするりとドアをすり抜ける。彼女の後ろでぱたんと閉まった扉に、髪が揺れた。

 

彼女は、リナリー・リー。同じ大学の同じサークルの先輩だ。とても優しく、とても強い。そういえば、彼女は怒るけど。
この前、ナンパしてきた男を返り討ちにした。と喜んでいたのは誰だっただろうか。
「どうしたんですか?」
「来週の土曜日にサークルのパーティあるんだけど参加する?それを聞きに来たの。」
「別に明日でも良かったんじゃないですか?」
「今日までに返事欲しいって、ラビに言われたのよ。」
「ラビ?」
聞きなれない名前だった。

 

自分達のサークルは「歴史研究」と言う名でそれぞれが好きに研究している。
普通はあまりポピュラーでないはずのそのサークルだが、中身を見れば、考えも変えさせられる。
何故か、大学の有名人ばかりがそのサークルに入っていた。
大学2年生ですでに、ミスユニバースと謳われるリナリーや、運動系サークルからの勧誘も来る3年神田先輩だったり、
そのほか、何かしらの有名人が在籍していた。

「ああ、アレン君は会った事ないっけ?一応サークルの部長。」
「・・・ああ、言えば、会った事ないですね。」
「幽霊みたいな人だから。」
「そのラビって人も来るんですか?」
「忙しくなきゃ来るって言ってたけど・・・。」
「忙しいって・・・。」

サークルメンバーは本当に少数。けれどその中身はビックリ、大学の顔と言っていい人物が殆ど。
それだけの人物達を集めたのは全て、部長だとは聞いているが・・・。
「ラビね。11年前にあのサークル立ち上げたの。」
「・・・・・・11年前?」
「今21歳。」
「・・・10歳?」

「ラビはね、恐ろしく頭のいい男よ。10歳であの大学に入ってから来年で卒業は3回目。大学ではすでに助教授扱い。多分大学で一番有名なのはラビ。」
「・・・え、ちょっと待って下さいよ。・・・どうゆう意味・・・。」
「ラビは紛れもない天才よ。」
「・・・・・・」

「よくあるでしょ?飛び級を重ねて、大学入ったって子。ラビはそのタイプ。受けた科目は全て博士号をとってるわ。大学でも彼には逆らえない。だから、あのサークルにはラビの気に入った子しか入れないのよ。」

それはテレビの中の世界だった。
僕の通う大学は、それなりどころかかなりレベルの高い学校だ。僕だって入れたのが奇跡に近い。
この大学を首席で卒業した者は、将来偉業を成し遂げたるというジンクスもあるくらいだ。
それくらい、恐らくこの国で一番有名な大学に10歳で入学を果たしたラビは、何者なのだろう。

 

 

「今もね、世界中を回ってるの。もう卒業するだけの単位はとったからって。それに、自分の研究施設も持ってるから、本当に忙しいのよ、彼。」
「・・・だったら、なんで僕があのサークルに入れたんですか?」
「今年の入学生で一番有名なのはアレン君だからじゃないかしら?」
「??有名?何で?」

「それで、アレン君、パーティ。出る?」
「・・・えっと・・・」
「多分、ラビも来るわ。今年の新入生を見たいって言ってたし。」
「・・・なら行った方が良いですね。」
「ただの飲み会だか気兼ねなくね。」
「はい。」
気にはなっているのは本当だった。だからだろう。
妙に浮かれて、何時もなら見逃さないような、あのオレンジ色の彼の変化に気付けなかったのも。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あ、神田。」
「なんだ、お前か。」
指定されたパーティ会場へと歩く途中。目の前を歩く人影。
周りを歩くほかの人達が自ら道を空けていく。


「神田も行くんですね。パーティ。」
「パーティ?ああ、飲み会か。パーティだなんて上品なものかよ。」
「・・・リナリーもそんなこと言ってました。」
「ラビの野郎が来いとか抜かすから仕方なく来てるけどな、本当だったら来たくもない。」

「神田は『ラビ』を知ってるんですね。」
「腐れ縁だ。昔から知ってる。」
「どんな人です?」
「なんだ、お前、知らないのか?」
「知りません。あったことも在りませんし。」
「?、向こうは知ってる風だったぜ?」
「え?」


「・・・本当にしらねぇみたいだな。」
「なんでしょうね?」
共だって着いた場所は、料理屋だ。特に何やと書いてあるわけじゃない。ただレストランと言うよりは喫茶店に近いかもしれない。
神田は遠慮なく扉を押し開け、中へと入ってく。どうやらここで間違いないらしい。続けて入ればそこにはすでに見慣れた顔がいる。

 

「遅かったわね、アレン君、神田。」
「開始時間には遅れてねぇだろ。」
「こう言うのは早くに始めるのが常識でしょ。」
「しらねぇよ、んなもん。」
「遅くなってごめんなさい。リナリー。」
「ほら、神田。アレン君を見習いなさいよ。」
「けっ・・・。」
「・・・・・・」

ばたりと扉を閉め、奥へと進む。歩く途中に挨拶を交わせば、手に渡されるのは、和洋折衷の料理の数々。
僕が大食漢であることを知った上での振舞いだろう。零さないように机の上に置き、椅子に座る。

「貰っていい?」
「どうぞ。」
「ありがとう。」

「リナリー、『ラビ』って来てます?」
「まだね。多分遅れるだろうから、食べてて良いとは言ってたけど。」
「なら始めるかぁ。あいつが時間通りこないのはいつもだしな。」
「リーバーサン。」
「おう、アレン。」
無精ひげを携えた、この細身の男は、リーバーと言う男。理数系の分野に置いて、彼を知らないものはいないとか。
大学4年で、既に大学の研究チームにつくことが決まっているらしい。
一番の年長者と言うことで、こういった集まりのとき、仕切るのはリーバーさんとリナリーの役。

 

「んじゃま、主催者がいねぇが、始めちまおうぜ!!!」
オオーッとリーバーさんの声に反応するように、あちこちで固まっていたメンバーが叫ぶ。乾杯ッとそれぞれ勝手に始めてしまったようだ。

 

 

 

「アレン、何飲む?」
「ジュースなら何でも良いですよ。」
「あら、お酒飲まないの?」
「師匠にストップかけられてます。」
「ああ、なら呑まないほうが良いわね。」
お酒を飲まないリーバーさんがおそらくジュースの入ったコップをくれた。

「リーバーさん、ラビってどういう人ですか?」
「なんだ、アレン、知らないのか?」
「僕逢ったことありませんから。」
「あー、・・・一言で言うとだなぁ・・・。天才だな。」
「・・・それ、リナリーからも聞きました。」
「なら過去の経歴も知ってるわけだよな。あいつの頭の中は、常人には理解しがたに。あえて言うなら、知識の塊みたいな奴だ。」
「知識の塊?」

「あいつの脳みその中には、古今東西ありとあらゆる筋の情報が所狭しと入ってる。それも、科学者や研究者でも追いつけないほど深くだ。」
炭酸独特の泡のはじける音が、リーバーさんの呑むコップの中から聞こえてくる。

 

「それでもまだ知識を追い求める。言い換えれば貪欲な奴だ。欲に忠実と言うか・・・。」
「誰が欲に忠実さ。」
「!!!!!」
「ラビッ!!!!」

誰も気付けないような突然のことだった。
僕とリーバーさんだけが座っていたテーブルの椅子に何事もなく座り込んで、手には恐らくお酒の入っているだろうコップを掴んだまま、
今まで僕らの会話を聞いていたような体制で机に肘をついてた。

 

ラフスタイルで、頭にはターバンを。両耳には、複数のリングだったりカフスだったり。印象派派手な人だ。
何よりもその髪の色が、それを強調するみたいで。

一歩聞き間違えれば悪口のようなリーバーさんの言葉に、普通に会話するように応答した彼は至って普通。
お酒の入ったコップを口に持っていき呑む。そして、逆に彼に応答された目の前にいるリーバーさんは、冷や汗を流し、顔を真っ青にしている。
まるで蛇に睨まれた蛙の如く固まって、うっかり手から滑り落としたコップは、なんとも綺麗な形で、机の上で円を描くように揺れていた。
生憎中身は殆ど毀れてしまっているが。


僕にいたっては、何がなにやら訳も分からないうちに、『ラビ』と呼ばれた彼に対面してしまったショックに、どうやら頭が動いてくれないらしい。
それでも何とか動く目だけで周りを見れば、彼の名を呼んだリーバーさんの声で、ここに『ラビ』が居ることを知った全員がこちらに向かってくる。
勿論、冷や汗をたらしながら。

その中で、最も驚いていたのは、出入り口の一番近くに居た神田だったのかもしれない。
もっとも神田は、その表情をあまり表には出していた無かったが(内心とっても驚いていたに違いないと、リナリーは語っていた)。

 

 

どうしてここにいるのだ。とか、どうやって入ってきた。だとか、色々な言葉が飛び交う中、彼・ラビはずっとリーバーさんへと視線を送っていた。

 

「リィーバァー・・・。俺の悪口言うとは恐れ入るさ。」
「え・・・・・・あ、・・・・・・・・」
大げさすぎるほどにリーバーさんの名前を呼ぶラビ。リーバーさんの顔色がさらに悪くなった。

 

 

 

「それじゃあ、まるで、俺が理性も働かない奴みたいじゃないか。ひでぇさ。、なぁ?」
「いや、・・・そういう意味で言ったんじゃ・・・。」
「少なくとも、俺はそこらへんの衝動的に人殺す浅はかなガキではないつもりさ?殺すなら完全犯罪くらいやるって。」
「さり気に、脅してないか、ラビ?」
「んなつもりはないって。」

 

 

無邪気にわらってみせるラビ。その奥ではリーバーさんが額に汗を流していたが。

ふと、ラビが僕に背中を向ける。勿論、ラビが意識してやったわけではないだろう。偶然におそらくリナリーあたりに顔を向けようとして、そうなったのだ。
リナリーはリーバーさんの後ろに立っているから、リーバーさんと向かい合うように座っている僕には必然的に背が向けられる。

「遅れてきたくせに、何言ってるのよ、ラビ。」
「いやー、ジジィに捕まってさぁ・・・・・・・」

微かに覗くラビの顔。動作に応じて揺れるオレンジ色の髪。
オレンジ色の・・・・

 

「・・・あ・・・・」
「ん?」

ラビと重なるように、写る、あの路地裏の窓から覗くオレンジ色。そして、横顔。
間違いない。あのアパルトメントに住む住人だ。


「・・・・・・」
「ああ、そういえば、ラビ。お望みのアレン君よ。」


じっとまるで穴が開くほど見詰められる。全身を全て記録するように視線を向け、最後に僕の目を・・・。

「・・・お望み?」
「ラビ、凄く貴方に会いたがってたから。」

その視線から逃げたかったのかもしれない。ふと、ラビの後ろにいるリナリーに視線を移し、誤魔化すように笑う。

 

僕が視線を外しても、ラビは一向に僕から視線を外してなどくれなかった。
何も喋らず、何も聞かず、ただじっと僕をみるだけ。

まるで観察者だ。実験の結果を逃すまいと、一分一秒を無駄にしないように、逃さないようにと、水槽の中を見つめる者。

ラビの視線からは、社交辞令すらも、好意的な感じはしない。
ぞくりと、全身の特に背中の毛と言う毛が、産毛すらも逆立つように、悪感が走る。それはもう俗に言う悪寒ではない。
感じる全てが怖いと感じる。五感全てで、『見るな』と命じる。脳が、身体に命令を下し、視線から逃れようとする。けれど・・・。

 

(・・・・・・・っ・・・・・・)

 

再度目が合えば、今度は完全に視線をよけることは出来なかった。

避けろと、サケロ。


と脳が幾ら命じようとも、その命令信号は、身体全てに行き届かず、どこか曖昧な場所に、放り出されてしまったように、身体はもう、動かない。


支配されたのだ。
ただの人の視線のみで、僕の全てを。
ただのそのラビの目線だけで、僕の行動を制限された。制限ですらない。もう、僕はラビの操り人形だ。

 

 

「・・・・・・アレン?」
「っ・・・」
「、、、アレン・ウォーカー?」
「・・・っはい、」

 

 

確かめるように僕の名を呼ぶラビ。耳どおりの良い声が耳から、脳を刺激する。
脳を揺さぶる魔性の声。そこから生み出されるのは、ただの、人間に抗う事の出来ない快楽だけ。

妖艶に微笑むその瞳。隻眼であるラビが放つその魔法。呪いに近いそれ。
もし、これが、両眼で見られたならば、僕は一体どうなってしまうのだろう。
青く、青く、ただ青い。青の向こうにあるのは『黒』だと知る人はどれくらいいるのだろう。感情に左右されるその瞳の色。
先程見たラビの目は、緑の混じった青だったのに、・・・まるで『カイヤナイト』黒をも凌ぐその色深さ。

 

 

「・・・可愛い」
「ちょ、ラビ!!!!」
「え・・・・」
「気に入った」

 

 

「んっ!!!・・・・・・・・・・・ぅんっ、ふ、・・・・・・ぁんッ・・・んン、」


「「「「「//////」」」」」


身体を押し倒され、唇と唇が合わさる。そんな感じがしただけで、実際は表現できないほど、濃厚なキス。
驚きと、快楽と、恐怖と、全てが混じって、今どういう状況なのか、自分で理解できないほど、自分は堕落してしまっているらしい。


割り開かれた唇の間から滑り込まれたラビの舌。
異様に長く感じるその触覚器官は、僕の舌をまるで誘い込むかのように捕まえる。何度も合わされ、ざらりと感じる舌。
甘いのか、どうか、味覚すら全て奪われる。そんな感じ。
酷く甘い自分の声が、耳を犯し、そこから生まれる快楽が自分の舌に伝わり、そして、身体へ。


ああ、もう、どうにでもなれ。投げやりになってしまうほど、今の自分は、理性がない。
「ちょ、っと・・・ラビ・・・」
「ンふぁ・・・・・・ッ、ンン・・・・・・ん、ぅ・・・っ」
ゆっくりと離れるその柔らかい唇。
愛おし気に、淋しげに、名残惜しげに離れていくその舌は、軽く粘り気の付いた水のような、音を立てて、離れていった。

 

 

「っ・・・・・・・・・・」
「立てない?」


両手を、フローリングの床に押さえつけられた状態で、覆いかぶさるようなラビが、先程の目で問う。
立てなくしているのはラビなのに、そのまま何も言わずに頷いてしまう。
「・・・立て、・・・ません。」
「・・・立たせて欲しい?」
ああ、まただ。
意識を手放してしまいたい浮遊感に高揚感。今、全てを受け入れれば意識を手放してしまうだろう。

「・・・・・・立たせ、・・下さい。」
「了解、お姫様。」
僕の上から退き、そして徐に、僕を抱き上げる。
霞む視界の中で見たのは、頬を紅潮させ、それでも驚愕に表情を変えた、サークルのメンバー達。他の人達もいたことを失念していた。
けれど、思い出したからと言って、何化するわけでもなく、正確に言えば、何も出来ない。
頭をラビの鎖骨に預け、意識が遠のくを抑えるしか、今の僕には出来ないだろう。


「リナリー、こいつ貰ってく。」
「・・・気に入っちゃったの?ラビ?」
「そう。気に入っちゃったvv」
語尾にハートでもつけそうなほど、機嫌の良い声。とともに、耳に囁かれるように、あの魔性の声。

「我が心を射止めた姫への、我が家への招待を。」
「どうぞ、お受け取り下さい。」
最後はまるっきりに僕に向けられた言葉だった。脳を震わすその声を、聞いていられるのはそこまでらしい。
目を閉じたくないと願っても、脳は休むことを強調してくる。
ぷつり、とまるで電気が止まるような映像とともに、砂嵐。それ以降の記憶は、僕は持ち合わせていなかった。

 

(08.10.12)