っ
     そ
       酒
     に
   
   れ
   た
   い

 

嗚呼、神よ
俺に一体如何しろと?

紫鳶と呼ばれる青年は仮面で隠れた眉間に皺をたっぷりと乗せ柄にも無く神に祈った。
内容からして祈り事等と言う可愛い内容じゃないのは明らかで、寧ろ怨み辛みが大半処か9割占めているが取り合えず祈ってみた。


嗚呼、神よ
俺が一体何をした!
既に祈りのレベルを超えていた。

 

 

この家は変わっていた。

先ず家の建つ場所すらも変わっていた。
木の葉の象徴とも言える顔岩を形成する崖。或る特定の場所に実は小さな洞窟の入口が開いており、その奥には泉が湧いていた。
その泉を入口とし更にその奥へと進めば其処はカルデラ様な窪地に鬱蒼と茂る森と、それをバックに建つ古屋敷。
黒い瓦屋根と白土の壁の和風建築のその家。
広大とは言えないが庭にして十分な広さを誇る森はマングローブの様に、泉から湧き出た水上に建ち侵入者を拒絶していた。
何が拒絶して居るのかと言えば、その泉より湧き出た、まぁ所謂『聖水』はどういう仕組みなのか心身エネルギーを奪っていくという厄介なもの。

一般人なら関係無いと言うレベルじゃなく下手すれば触れた瞬間混沌。
何故ってこの水が吸収するのは生命エネルギーと呼ばれ、忍びからすれば極一般的な物を無尽蔵に奪っていく。
下手すれば昏睡じゃ済まないような其が敷地内には充満していた。
恐らくその性質から『聖水』等と呼ばれているのだろうが、此れでははっきり言って毒薬以外の何物でも無いと俺は思っている。
然し専門家から言わせれば、その『聖水』は精製方法を間違えずきちりとした正しい手順を踏む事で、
どの薬草をも凌駕する良薬(ここでいうドーピング剤)を造る事が可能だとかで、上司が嬉々としていたのを知っている。
尤も、この家の主はこの聖水の持ち出しを禁じているのだが。


次にこの家は『家』と呼んではいるが、この家に住み着く住人の凡そ9割(寧ろ一人の例外以外にとって)は『生家』ではなかった。
寧ろ棲家と呼ぶに相応しいその家の主はただ一人、勿論俺などではなく、年齢不詳の美丈夫で唯我独尊を具現させた様な性格の持ち主なのだが、
まぁ難だ感だ言いながら此処に住み着く住人は誰しも例外無くこの家と主を気に入っている(気に入ってる処か崇拝しているのだが、まぁご愛嬌だ)。

更にその主が作り出したルールなる物も当然の様に変わっていて。
と言うか寧ろ奇抜過ぎて未だ付いて行けない処が存在するが、そんな物きっとあの方には全く関係が無いのだろう。とにかくそんな物が存在していた。
第一に飲酒に関してだ。何故其が一番に来るのかと言えば、まぁあの方が誰よりも酒を愛しているからと答えるしか無いのだが其は其。
ともかくこの家に住んでいる以上、少なからず、と言うか初っ端から大量の酒を飲まされる。
未成年?そんな言葉などとうに火遁の術で燃やされているらしく、
連れて来られたその日から毎晩の様に続く酒盛りは既に日常なのだと知らされるのに時間が掛かる必要すらなかった。
喩え其れが年端も行かぬ小僧であろうとも、喩え其れが病で床に臥せっている様な老人だとしても其れは変わらず、

主曰く、「忍びたる者、酒に呑まれる様では生きる価値無し」だそうだ。
つまり、「忍びたる者、どんな状況であろうとも酒の席で酔う様な無様な姿を晒すな」と言う事らしく、
上司曰く「潜入任務で酒に正体暴かれない様ににするための保険」「つまり餓鬼の頃から慣れさせろ」だそうだ。
確かに飲酒に関わる任務も等それは大事な事ことかも知れないが、否然しだ。アレは幾ら何でもも呑み過ぎだ。
普通の家に酒専用の蔵など存在しないだろ、普通。


「何故、此処に?」
「嗚呼、お帰りなさい。紫鳶、」
「た、唯今戻りました。狼鵺様。」
貴方も一杯付き合いませんか?と縁側で月を見上げながら手にしているのは当然と言えば当然なのか酒の入った杯。
紅い漆塗りの盃を片手に直ぐ傍に置かれた月見団子を肴に月見酒へと洒落込むのは我等が主にしてこの家の主こと『狼鵺』様。
彼は此方に来いと呆然とする俺に杯と共に手招きする。然し如何か少しでも良い察して欲しい。
今の俺の心情を。

「大事無い様でなによりです。」


相変わらずの無表情、然し纏う気配のなんと柔らかい事か。
それに絆されるかの様ににふらふらと無意識の内にその杯を受けていた辺り、もう条件反射だ。
脇に置かれた月見団子の一本に手を伸ばし、狼鵺様は白い月を愛でながらまず一口、と酌を進める。
それに従い俺もまた杯を傾け一口、ああ旨い。銘酒と名高い大吟醸『無月』だろうかと辺りをつけて礼を一つ。
すると下げた頭を柔らかに包み込むようにわしわしと撫でられた。


「単独任務に出ていたと聞きました。」
無事でなによりですよ、紫鳶。
耳通りの好い低い声が鼓膜を揺らす。
それはまるで微温湯に漬かる様に脳髄に浸透し一つ波紋を起こして消えていった。



「狼鵺様は、  何故此処に?」
「お前の顔を見たかった、と言ったら信じますかね?」
「ご冗談を。実は潜伏先で御酒が切れたのでしょう?」
然しその微温湯に漬かっている暇は早々に無く、帰宅した瞬間からの疑問を投げ掛ける事になる。
どう考えたって可笑しい。彼ともあろう者が、こんなにも早々に帰っているはずがないのだ。

「鴻闇様も鴇杜様も、今頃任務に殺されてますよ?」
今頃其々の部署で大量の任務及び依頼書に生き埋めにされてるだろう上司を想いほろりと涙する。優秀過ぎるのも考え物だ。
勿論その原因である目の前のこの方に対する嫌味なのだが、まぁ気にする事すら無いだろう。


「『旅』だなんて残して、後始末が大変では?」
「お前達に処理仕切れない様な物は残していない筈ですがね?」

櫛に付いた最後の団子を口内に含みながら狼鵺様は可笑しそうに笑う。確かにその辺は相変わらずだった。
この方にしか処理出来ない様な物は未然に処理済として報告されていた。
残った任務も其々能力できっちり処理出来る様に分類までされ、寧ろ試すかの様に修行ついでの任務は通常よりも多かったする。
そうなると迷惑が掛かるのは俺達ではなく、寧ろ他の部隊部署の忍び連中。
厳密に言えば、今頃上司二名に助けを求め返り討ちに遭っている暗部と里の主要機関の連中、となる。
まぁ、上司二名に被害が蒙るのは最早この方の可愛らしい悪戯なのだろうけれど(然し其れを知らない者からすれば断じて悪戯などというレベルじゃない)。


「お二方とも探してましたよ?」
特に鴇杜様。と空になっただろう狼鵺様の杯に徳利を傾ければ、薄っすらと独特に濁った酒が注がれる。
任務の合間仕事の合間を縫って必死になってこの方の所在を探している上司の一人を思い浮かべた。
彼は此処にいる誰よりも狼鵺様に心酔している。

幼少から、と言うか生まれた時からこの方に育てられて来たからだろう。
その情は何よりも深く、そして恐ろしいまでに貪欲だった。
新参者の俺達にすら、気に入らないと顔を不機嫌に歪め、相方であるもう一人の上司に小突かれていた。
終いには、この方が片腕に連れて来た一番の幼少である朱鶴にすら嫉妬する始末。
大人気ない、いや表立っては言わないが。


「鴇杜には俺しかいませんでしたからね。」


邂逅する狭間に浮かび上がるその表情に、俺はいつの間にやら顔が解れていたらしい。鴇杜様は気付いていないのだろう。
この方が彼の名を紡ぐ時、誰の名を呼ぶよりも顕著に表すその柔らかい慈愛に満ちた表情を。
勿論、そんな物を易々と見せはしないだろうが。例外とするなら鴻闇様に対する時だろう。
この方は其の方法で鴻闇様を煽って遊んでいるらしく、その表情を見た時の鴻闇様の表情は当に悪鬼か夜叉。
否、言葉を間違えた。その姿はどんな女性よりも妖艶に微笑み、醸し出す雰囲気はまさに阿鼻叫喚。
下手すれば羅刹女かこの人は、と問いたくなるほど美しいからどうしようもない。
そんな状態でこの二人が揃えばまず間違いなく、世の男共は卒倒するか、虜様に頬を朱色に染め恍惚とした表情を浮べるか、どちらかとなる。
更に付け足すならば、そんな状態の鴻闇様を見て(正確に言えばその周りに取り巻く亡者共)、気に入らないと無表情と化し、
不機嫌と嫉妬心も露に顔を歪める鴇杜様。そしてそれすらも面白そうに見ている狼鵺様、と言った世にも奇妙な三角関係が出来上がる。

ここので追記するなら、鴇杜様も鴻闇様も確かに狼鵺様に対する心酔の度合いは大差ないほど異常な物であるが、それと恋情は別らしく、
前者2名の関係を上げるなら恋人なのだがそんな素振りも何もかも見せない辺りは流石と言える(然し俺達からすればバレバレなのだが)。
彼等はちゃんとお互いが大事なのだと狼鵺様が語ったのは随分前の話だ。


「センセ?」


からりと近くの襖がゆったりと開けられる。俺が振り返ると眠そうに瞼を擦りながらもうつらうつらと船を漕いでいる朱鶴が立っている。
まだ幼い故に変化を保てずに着ていた浴衣が少しぶかぶかと大きそうだ。

「ああ、起きてしまいましたか、朱鶴。」
「お帰りなさい、センセ。」

ちょいちょいと手招きすればてこてこてこと普段ならばけして立てない足音を立てて朱鶴が狼鵺様に近付いて抱き寄せられている。
脇に置いた杯を避け、ついでに皿に載せられた団子も避けて、抱き寄せた朱鶴を膝の上に乗せながら、浴衣を治してやる。
藤色に染められた浴衣の帯がひらひらと夜風に揺れていた。
そう言えば、と思い出したように狼鵺様が呟いた。


「今日は白鷂が居ませんでしたね。」
「ええ、任務についています。戻りは明日かと。」

寝起きで少しぐしゃぐしゃになったのだろう黒く長い髪を優しく撫でつけ、少し弄ることで整える。
仕方ないですね、と一言呟いて狼鵺様は朱鶴を抱えたまま立ち上がる。
紺色の着物を翻しながら狼鵺様は足を進めた。
おもむろに自分の自室へと。


「狼鵺様?」
「あと数分で二人とも帰ってくるでしょうから。」

そのお団子と、後台所にある夜食等はお前達三人で、そう呟いて狼鵺様は然も当然の様に自室へと消えていった。
ご丁寧に幻術つきの強固な結界を張って。




・・・ちょっと待って頂きたいのですが、我が主殿。もしかして、いやまさか・・・えー?



「ただいまー、」
「腹減った・・・」
玄関から、疲労困憊と項垂れる上司二人の帰宅を継げる声が流れる中、思い付いてしまった一つの仮定に紫鳶は固まった。
それはもう強固な大理石並みに、下手すれば金剛石だって夢じゃない程に固まった。
頭の中を思い描く仮定にそれはもう仮定じゃなく答え合わせ終えた解答だろと言う突っ込みをしつつ、彼は涙を流す。


「え、嘘、狼鵺のご飯、」
「帰って来てんのか?気配ねーぞ?」
「あー、まさか!!酒だけかっぱらいに来たんじゃ?」
「マジかよ、じゃぁ取っといた『無月』は・・・」
台所から微かに聞こえる声に、俺は眩暈を起こす。
貴方って人は、と自室にいるらしい主に涙した処で慰め役である白鷂も、
頼りになる大先輩の鷸緋さんと青鵐さんも残念なことに不在だ。


「紫鳶!!まさかと思うが狼鵺がここに居なかったか!?」
「何処行きやがった!!あいつ!!」
紫鳶は悉く叫びたかった、詰め寄ってくる上司二人に対してとにかく言いたかった。


『狼鵺様は、ずっと、この家に居ましたよ!!』
と、しかも現在進行形で、と。


奇しくもそれは狼鵺様が『旅』と言う紙一枚を残して消えてから23日と10時間、38分7秒後の出来事だった。

(どこ行った!!まだ近くにいるだろ!!)
(吐け紫鳶!!それとも吐かせてやろうか!?)
(すいません、スイマセン!!本当にごめんなさい!!)
((狼鵺の奴、何して行った!!))

(09.04.12)

実はずっと家に居ました篇
それでも告げ口できない紫鳶さん、
しまった、白鷂さん、名前しか出てない。